留学者の声
三宅 可奈江 先生
私は2013年10月から2016年3月までの2年半、アメリカ・カリフォルニア州北部にある Stanford University School of Medicine, Dept. of Radiology, Breast Imaging Section に留学させて頂きました。スタンフォード大学は正式名称 Leland Stanford Junior Universityと言い、1891年に我が子をチフスで亡くした鉄道王の Stanford が、「 California の子供は皆我が子である」として 莫大な財産を全子供達の教育に捧げるために創設した大学と言われています。大学の中央には金色の壁画が美しい Memorial church があり、その周囲には独特な赤茶色の屋根をした石造の建物が並びます。ほぼ年中を通して爽やかな晴天が続き、ヤシの木や花々で囲まれた青々とした芝では 学生たちが球技をしたり寝そべって読書をしたりと伸び伸びと過ごしています。構内では世界最小の鳥、ハチドリを見る事もできます。我が家のアパートのバルコニーにも果汁の入った瓶をつるすと飲みにきてくれました。アメリカはご周知のように様々な国にルーツを持つ多様な人々が暮らす多民族国家です。Stanford にはインド系・中国系のアジア人をはじめ 多様なバックグラウンドを持つ人々が世界中から集まっており、日本人も珍しくはありません。別の国に来たというよりは、ミニチュア版地球、国際社会という舞台に来たような感覚でしょうか。
Stanford への留学は私にとって昔から憧れていた夢でした。最初に訪れたのは大学4回生の自主研修の時、免疫学の研究室に1カ月お世話になりました。また研修医の頃には、当科富樫かおり教授の招待講演に幸運にもお供させて頂く機会がありました。当時の Chair である Dr. Gary M. Glazer や医学生達が熱心に耳を傾け、画像から生まれた発見が国境を越えて熱く受け継がれる様を見て、私自身も画像診断の秘めたる力に魅了されたのを思い出します。今回私の受け入れ先になって下さった乳腺領域の教授 Dr. Debra M. Ikeda はこの際に偶然廊下でお会いしたのが最初の出会いとなります。私達一行を見るや大歓迎となり、マンモグラフィーの部屋にご案内頂き、乳腺領域での活動を熱くご紹介してくださいました。Ikeda先生の熱心で友好的なお姿に感銘を受け、いつかご一緒できるといいなと思ったのですが、約10年の歳月を経て、沢山の幸運が重なって、その夢が実現する事となりました。一番の幸運は、大学院時代に中本裕士先生のご指導にて乳房専用高分解能PET装置の研究をさせて頂けた事と思います。乳癌を集中的に勉強したいと強く思うきっかけとなりました。
大学院で核医学を勉強してきた私にとって、Breast Imaging での留学生活は、乳癌画像診断を勉強するところから始まりました。しばしば臨床も見学させて頂きました。Breast Imaging は Stanford Hospital and Clinics の癌患者用の外来棟である Cancer Centerの1階に専用の区画を構える大きな部門で、専属の医師、女性技師、女性看護士、コメディカルらが従事し、マンモグラフィーを主軸とした乳癌診断を行っています。医師の数が乳腺外科医よりやや多い事実からも推察できるように、放射線科が診断に関わる全工程を一手に請け負い、乳腺外科は治療に専念する役割分担となっています。画像診断医は、読影だけでなく、「次に何をするか」という診断のストラテジーをたて、最終的に生検で診断を確定させます。職種間のチームワークも素晴らしく、問題があれば互いにフィードバックし、成果のあったことは一緒に喜んだりと、Ikeda 先生を中心に緊張感あるも和気藹々とした仕事をされていました。私の留学した時期は世界的にトモシンセシスの普及が広まった頃で、Stanford でも積極的に勉強会が開かれ、Recall rate がどのように変化したかとか、微妙な所見に対してどう対応しようかなど、熱心な討論が繰り広げられていました。新しい技術が慎重に、かつスピーディーに日常臨床に取り込まれていく様子を見ることができました。
私自身の初期の仕事は各種研究に参加する事と Teaching file 作りであり、これらを通じて Stanford あるいはアメリカの乳癌診断事情を勉強することができました。しばしば日本との乳癌診療の現状や診断・治療戦略の”違い”に驚くこともありました。例えば、マンモグラフィー(トモシンセシス含む)の不動の地位、非常に高いマンモグラフィーの画質、撮影・読影技術の多様さ、大きな乳房、多様な背景、微小病変の拾い上げの多さ、生検数の多さと手技の豊富さ、MRIや全身検索用の検査のハードルの高さ、高額な医療費、カテゴリー分類の違い等々です。Stanford は富裕層を対象とし乳房温存術を希望する患者が多いというバイアスはありますが、米国のトップクラスの乳癌専門機関がどのような状況下で、どのような流れで動いているのかを部分的にも知ることができ、彼らの興味がどこにあるのか多少理解することができました。検診の研究においては、日本以上に国土の広さ、民族・貧富の多様性が障壁として立ちはだかっており、更に裁判の歴史も深く関与していることを知りました。結局、日米の診断治療戦略の違いは乳癌の自然科学的なことだけでなく、医療経済や社会背景にも起因する問題であり、必ずしも不自然なことではないのかもしれません。自分が当然と考えている物事の中には文化圏外に出れば当然でない可能性があり、互いに議論をする時や、外部の戦略を取り込む時には注意が必要かもしれない、ということは私自身にとっての新たな教訓となりました。
仕事がある程度軌道に乗ったある日、Ikeda 先生より Breast Imaging に関する本の改訂版作りをしてみないかとお話を頂きました。Ikeda 先生が代々ご執筆されてきたレジデント用の教本の第3版であり、留学生が作業を任せて頂くことは身に余る光栄で、それ以上に私にとっては一大事でありましたが、思い切ってやってみる事になりました。全11章を1カ月で1~2章ずつこなすという私にはハードなスケジュール設定に冷や汗をかきながら、Ikeda 先生と二人三脚で作業を進め、とにかく勉強して自分なりに update し、手持ちの症例を探して画像を作り、夕方や週末に Ikeda 先生と議論するという作業を繰り返しました。マンモグラフィー、超音波、MRI、PETそして乳腺外科・形成外科の其々の専門家の教えを頂き、高校生~大学生卒業後の若いアシスタント達と試行錯誤で分担作業を行い、膨大なデータにコンピューターが悲鳴を上げる時にはITに助けてもらい、月に一度は出版社の人達と慣れない英語で telephone conference を行いました。本を一冊作るのに何と膨大なエネルギーがいるのかと息切れしそうな日々でしたが、Ikeda 先生の情熱に引っ張られ何とか最後まで到達しました。この仕事はやりがいの面でも自分の勉強のためにも大変充実したものであり、この仕事を私に与えて下さった Ikeda 先生に大変感謝しております。
留学後半には、念願としていた乳腺専用PETの共同研究をさせて頂きました。乳癌診断におけるPETの役割はまだ小さいので駄目元で Ikeda 先生に提案したのですが、予想以上に興味を持っていただき、その場で核医学とMRIの各チーフにも声をかけてくださいました(図1)。そして、恩師の中本裕士先生と、乳腺画像の片岡正子先生・金尾昌太郎先生にもご指導・ご支援を頂き、両大学の共同研究という形で研究を進めさせていただけることとなりました。私のアイデアに賛同し、貴重な時間を割いて研究に沢山の先生が参加してくださった事は本当に嬉しいことで、いつ思い出しても感謝の気持ちでいっぱいになります。この研究は、スタンフォードの各先生方との交流を深めるきっかけにもなり、さらに Wagner-Torizuka fellowship を通して 核医学の第一線で頑張る先生方との交流にも繋がるものとなりました。
Stanford ではその他にも公私を問わず沢山の人達と交流をさせて頂きました。Ikeda 先生をはじめ色々な方々のホームパーティーに参加し、趣向を凝らした温かいおもてなしを受けました。昔、元京都市立病院の早川克己先生が教えて下さったように アメリカでの生活はサバイバル的な要素があり、困ることもありました。そんな時には Ikeda 先生ご家族や同じ境遇の日本人留学生らが相談に乗ってくれたり助けてくれ、周りの人々の優しさが身に沁みました。日本ではあまり感じない戦争の爪痕を感じることもありました。教授室には、戦車に乗った家族のお写真と、日系アメリカ人への人権を尊重するという大統領からの手紙が堂々と飾られていました。子供の幼稚園でも多彩な婚姻関係や家族構成を自然なものとして公表する風潮を感じました。多様な背景の人々で隣あって生活をするアメリカでは、人と違う点は堂々と Identity として大切にすると同時に、多様性を受け入れる教育がかなり浸透しているように思いました。「人の性格や思考回路は(先天的な因子だけでなく)記憶から作られる」 というのは滋賀成人病センターでの恩師南俊介先生から教わった事ですが、比較的均一な環境で生きてきた私には アメリカの多様性や Identity へのこだわりはまぶしく刺激的で、今の自分の考え方を見直して今後の自分への参考となる経験となったと思います。
最後に、このような素晴らしい機会を与えて下さいました富樫かおり先生、小西淳二先生に心より厚く御礼を申し上げます。両教授のご支援なしではスタンフォードへの留学は叶わなかったことであり、折に触れ与えて下さった温かい激励のお言葉が私を導いて下さいました。この場をお借りして心より深く感謝申し上げます。また、どこからでもいつも温かくご指導くださる中本裕士先生、他グループに関わらず快くご協力くださった片岡正子先生、金尾昌太郎先生、渡米前に壮行会を開いてくださったPETグループの皆様にも厚く御礼申し上げます。主人と幼い子供の3人での海外生活においては、主人にも家事・育児を私と同じくらいこなしてもらう必要がありました。働く男性が女性ほどに家事・育児をすることは女性以上に負担の多い事かと思いますが、それを覚悟で協力してくれた主人にも感謝を述べたいと思います。そして、公私に渡り素晴らしい経験をさせて下さり、医師としても女性としても沢山の事を教えて下さった Debra M. Ikeda先生、また Stanford で出会った全ての先生や友人にも、心から深く御礼申し上げます(写真2)。この留学で得た経験や人との繋がりは私の一生の宝物であり、これまで育てて下さった恩師やご協力くださった先生方の賜物と思っております。これからは微力ながらも教室の皆様に還元していければと願っております。